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大阪地方裁判所 昭和46年(わ)814号 判決 1971年12月09日

主文

被告人を禁錮八月に処する。

ただし、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四四年七月二三日午後零時ごろ、土砂を満載した普通貨物自動車(小型ダンプカー、車長4.88メートル、車幅1.95メートル)を運転し、大阪府門真市大池町四一〇番地先の南北に通ずる幅員約2.6メートルの道路東側に接する低地に土砂を埋立て宅地造成中の現場に乗り入れるべく、右道路を南から北に向け進行して来て、まづ車体の向きを変えるため、道路西側の空地に左折進入して一時停止の後、西から東に、道路を横切り、積載してきた土砂を下す宅地造成埋立地の東端まで約15.6メートル後退しようとしたところ、右宅地造成埋立地は、周囲にはアパート等の人家が立て込み、人の出入が自由かつ容易な状況で、時に子供らが遊んでいることもあり、被告人としても、前日来、同所に土砂を運搬していて、車を乗り入れるに当り、遊んでいた子供らに注意を与えたこともあつたのであるから、後退の場合、自車の真後ろ部分は死角になるので、後退運転を開始するに当つては、下車して自車後部を廻り、自車後方における障害の有無を見届け、安全を確認したうえ後退し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、下車して自車後方の安全を確認することなく、運転席にあつて、右側窓より顔を出し右後方を注視した後、自車左前部に取付けのバックミラーで左後方を一瞥し、漫然、時速約七キロメートルで後退を始めた過失により、折柄、埋立地内に入り込んでいた佐藤勉(当時九年、小学校三年生)および佐藤毅幸(当時七年、小学校二年生)の兄弟が自転車とともに自車の後方にいたことに気付かず、後退を続け、道路を横切り埋立地に乗り入れた際、自車後部左側を自転車もろとも両名に接触させ、その場に転倒した両名を自車左後車輪で轢き、よつて、勉をして、胸部圧挫傷による肺破裂にもとづく窒息により、毅幸をして、頭蓋骨開放性粉砕骨折による脳脱出により、それぞれその場で即死するにいたらしめたものである。

(証拠の標目)<略>

(本件の認定における問題点)

(一)  まづ、本件事故前における被害者の行動、居た位置について検討する。前掲証拠によれば、本件事故の直前、買い物帰りの主婦田渕栄子および川西陽子の両名が連れ立つて本件現場の南北道路を北から南に歩いており、被告人車が道路西側の空地へ左折進入しようとしている辺りで、被告人車と擦れ違い、同人らがそこから南へ約一三メートル歩いて来たところで、後方でガチャンと物音がしたので、田渕が振り返つて見たところ、被告人車の下に二人の子供が自転車と一緒に轢かれているところであつた、そして同人らが被告人車と擦れ違つてから物音で振り返つて見るまで、一〇秒位の間しか立つていないこと、しこうして、田渕らは道路を歩行中、被告人車と擦れ違つてから、路上で自転車乗りの子供らと擦れ違つたことはなく、また、道路西側の空地や東側の埋立地の方を見てもいなかつたので、そこに子供らが遊んでいたかどうかには気付いていなかつたこと、一方、本件現場から北に約八〇メートルの所に位置し、南北道路が見通せる白石タツエ方住宅で、偶々、同人が自宅の窓越しに外の方を眺めているうち、被告人車が南からやつて来て西側空地に入り、次いで後退を始める様子を見たが、その同道路の北から本件現場の方に行く自転車乗りの子供らは見ていないことが認められ、本件事故直前における被害者兄弟の姿を目撃した第三者は誰もいない。被告人もまた南北道路を南から北に進行中、西側の空地や東側の埋立地を見たが、周辺に人影を認めなかつたとも云うのである。しかしながら、前掲証拠によると、被害者兄弟は、事故当日の正午少し前、自宅で昼食を済ませ、遊びに行つて来ると言つて外出したこと、本件事故現場は被害者宅からは北方に位置し、歩いた場合であつても三分以内に到着できるところにあること、一方、被告人車に見られる被害者との接触の部位は、被告人車の後部中央に取付られたナンバープレートの下部にあるバンバーの左端部分および左後車輪の泥除に接触の痕跡が残されているところから、被告人車の後部左側であること、また被害者と接触している地点は、道路から東側埋立地内に少くとも二メートルないし三メートル入り込んだ場所であることが認められ、この事実に、前記のように、田渕らが被告人車と擦れ違つてから事故までの間が一〇秒位であること(被告人も、道路左側の空地に左折進入して一時停止し、後退を始めるまでは、約七、八秒の間であつたと述べている)、その間同人らは路上で自転車乗りの子供らと出会つたことはないことの諸事実を考え併せると、被害者ら兄弟は、被告人車が南北道路を進行して来て西側空地に左折進入する以前に、すでに東側の埋立地内に入り込んでいたものとみるのが素直である。被告人は、右道路に入つて来た際、東側の埋立地の方も見たが人影はなかつたと述べているけれども、果してその方を十分注視したものかどうかも疑わしく(被告人は、当初の警察官に対する供述では、道路進行中には歩行者もなかつた旨述べていて、前記田渕ら歩行者との擦れ違いにも気付いていなかつたふしさえ窺える)、見落していたおそれが強い。被告人が後退を開始する際には、被害者兄弟は埋立地内にあつて被告人車の後退方向に位置していたものと考えるのが相当である。

(二)  つぎに、本件において、被告人に下車してまで車両後方の安全確認の義務があるかどうかについて検討する。被告人車の車体前部の左右に取付のバックミラーによつても、その見とおしは車体真後ろの部分には及ばず、運転席右側窓より顔を出し振り返つても、見とおせる範囲は、車体の左後方および真後ろに近接した部分には及ばないわけで、その部分がいわゆる死角となることは自動車の構造上やむをえないところである。したがつて、後退するに当つては、時間的、場所的状況から後方に人がいようとは到底考えられない状況にある場合ならば格別、そうでないかぎり、助手等がいなく単独で運転する自動車運転者としては、一旦車外に出て車の後方を巡回し、障害の有無を確かめたうえで後退すべき注意義務があると解さなければならない。本件において、なるほど事故現場は、宅地造成中の埋立地であるが、周囲に柵や張り繩などが廻らされていたわけでなく、周辺にはアパート等の人家が立て込んでおり、道路にもじかに接しているので、人の出入は自由かつ容易であつたこと、整地された場所もあり、時に子供らが入り込んで遊ぶこともあつたこと、被告人は、事故当日の前日から本件現場の埋立地に土砂の運搬のため出入を始めたものであるが、前日には同所に乗り入れた際、子供らが遊んでいて邪魔になるので、そんな所にいたら危いぞと注意し、子供らを追い払つたこともあつたことが認められるのであつて、本件現場の埋立地は、一般人が立ち入り通行することのない場所とはいえないところである。してみれば、被告人としては、後退開始に先立ち、とくに後方の安全を十分に確かめた状況にもなかつたのであるから、判示のように、一旦下車して、車両の後方に廻り、後方の安全を確認すべき注意義務があつたものといわざるをえない。被告人が土砂を運搬して本件埋立地に乗り込む都度、後退開始に先立ち、下車してまで後方の安全を確認したことはなく、本件の場合と同様の運転方法を繰返し、その間事故はなかつたとしても、これをもつて右注意義務免除の理由となるわけのものではない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するが、一個の行為で同じ二個の罪名に触れる場合であるので、刑法五四条一項前段、、一〇条により、一罪として犯情の最も重い佐藤勉に対する業務上過失致死罪の刑に従い処断することとし、その量刑について考えるに、本件事故は、一瞬にして二人もの兄弟の児童が死にいたらしめられた事故であり、その結果は無残で重大といわなければならないが、しかし、被告人の過失の態様は、いちがいに悪質とはいえないし、被害者の兄弟においても相当の過失があることは否めないところ、事故後、早期に被告人の雇主と被害者の両親との間にいわゆる示談が成立しており、被告人にはこれまでに目立つた交通違反の前科もないこと等諸般の情状を考慮し、所定刑中禁錮刑を選択のうえ、その所定刑期内で被告人を禁錮八月に処し、刑法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとする。

(坂詰幸次郎)

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